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 ↑ロッキー田中のエッセイ「ときめきの富士を求めて」はこちらから
ご覧いただけます。

飛天翔雲

 

  6月10日 午前7時 清水吉原

 これまでのときめきの富士とは別次元の作品が生まれ始めている。それは数年前から感じていた。色や構図ではなく視界全体に映る世界が何かを凝縮して伝えに来ていると感じていた。

 感じたのは第45作の【満天の流星】で宇宙のメッセージをを受け止めたとき、そして第52作の【時空無境】で天地境目の無い世界を観たときに確信した。地球が新たな次元に入って行く時が来ているという。世界中で混沌の現象が起きているのは変化の前兆でまだ起き切ってはいない。

 私はその辺のことは全く分からない。が、大気が変わっているのを明確に感じていた。それは写真に写る。ときめきの富士には必ず出る。同時に私の周りに心のレベルが佳い人が増えてきたのも実感している。

 数年前、自分が生きていた世界で身ぐるみ剥がされた。意地やこだわりや狭量や日常の俗っぽいものに侵されながら突っ走っていて、気が付いたときには思い切り地面に叩きつけられた。

 「そこまで行かないとお前は気付かない」と言われた気がした。
“自分の強かった裏返しの弱さ”を始めて知ってから自らを変えた。いつも気付くのが人より遅い。サラリーマンに向いてないと分かったのは入社してから27年目だったなあ。通常は3日で分かるのに . . . 。

 変わってきたかな、今日も良いことばっかりだ、みんな喜んでるな。と
思い始めたのはこの頃だった。有り難いと思う。それから今日まで素晴らしい毎日の連続記録更新中だ。素晴らしい人しか目の前に現れないし、出会った人が又新しい世界と人に会わせてくれる。

 初期の作品を含め、全てが勢いづいてきた。尊敬するある人から言われた事がある。
「自分の心のレベル=波動が上がると、作品全てにその波動が伝わるんだよ。作品を持っている人にまで良い波動が伝わってその人にも良い結果をもたらすことが出来る」と。

 その言葉を励みにして、毎日関わる人達の光の輝きをイメージして楽に愉しく生かされている自分がある。今日も新世界!と朝起きるのがワクワク状態だ。

 今年の梅雨は長かった。数少ない晴れ間を逃さず逢いに行った。或る夜仲間から明朝、ここへ行きませんか?と電話があった。梅雨の晴れ間にはここに行こうと私がイメージしていた所だった。処がその人は来れなかった。直前に気が変わった。地元の箱根に行ったらしい。

 壮大な雲が空に湧いた。刻々と動く姿は「いのちの空」だ。峰の頂上を目指し鳳凰も龍神も無数に集ってきた。一つとして同じ姿は無い。空の全てを写そうと決めた。

 新しい世界の扉が開く。天空の劇場はこれから始まる様々な世界のエネルギーをときめきの富士に変えて見せてくれる。今朝確信した。

感謝無限大   ロッキー田中

心象の紅

新しき世界のいざない

  1月下旬 午前6時15分 河口湖畔より

 河口湖に特にゆかりのあるのは木花開耶姫(このはなさくやひめ)。
神話の中でも一二を争うほどに美しい姫がニニギノミコトの疑いに怒り火の中で子を産んだ。生まれた二人の名は海幸彦、山幸彦。産んだ場所を「産屋ヶ岬(うぶやがさき)」という。画面の左の岬がそれである。

 厚い雲が動き始め空に微かな光が入った時に「光は全面に至る!」と確信を持った。真北から富士山に対すると朝日は東からの横光になる事が多い。朝焼けの時間も当然短くなる。それでも裾野を伸ばしたこの湖から観る富士山が好きだ。その全焼けの一瞬をフィルムに写したかった。

 光はピンクだった。薄紅からマゼンタそして紫の高貴な色を秘めて目の前に展開した。朝の冷えに比例して緩やかに確実に情熱の色を付けていく。そして新しい世界の始まりを感じた。

 雑誌<壮快>の2007年1月号に特集されたから全国からご注文を頂き一躍「心象の紅」がステージを駆け上がった。予感はあった。この色が暁の色、夜明の色、次元を変えるときめきの色だから。

初めての色、木花開耶姫に出逢った朝だ。

原始黎明

古来より人が見てきた夜明け

 

8月11日 午前7時40分 山伏峠

 山の端から朝日が顔を出すに連れて、山を覆っていた靄がざわめき出す。
ここ山伏峠は静岡県と山梨県の県境近くの静岡県側に位置する厳しい峠だ。
夏でも朝はかなりの冷え込みになる。空が燃える色に彩られる事が多い。

 第39作の「大和彩輪」と同じ日の朝である。初めての夜明を心に描いて前の晩に登った。山並みの続き、山梨県側には安倍峠がある。山伏峠と安倍峠のライン上に富士山が在るから太陽を見る角度は同じである。しかし大気の動きがまるで異なる。劇的な光景を求める時はここに限るのだ。

 やまとの民は古来から朝日を拝んできた。自然への畏敬の念、光への崇敬の心、全身を包む夜明前の冷気(霊気)と朝日が顔を出した時の感謝。
その時微かな風が起こり雲はざわめき立ち見る間に空が染まっていく。
それは生活のリズムそのものだった。

 今、朝日を見た事のない子供が増えている。夏と冬では夜明けの時間は3.5時間の差がある。角度も異なる。それを子供は知らない。大人が教えなければ子供が自分から朝日を見る為に起きる筈がない。生活が飛躍的に便利になった事が人間の感性を退化させているのだ。

 全ては想像力の問題である。ぬくぬくと寝ている間にいのちを秘めた空が劇的に動いている事を見逃すのは勿体ない。宇宙の営み・自然の移ろいの中に学ぶべき全ての叡智が秘められている。

 いのちが輪になって燦然と輝き出す朝が来た。

瑠璃白光

光は広がった

  8月中旬 午前7時半  静岡県山伏峠

この写真が「出るよ!」と手を挙げた。
「大和彩輪」と同じ朝のときめきだった。

 ずっとその意味するものが判らず寝かしておいたが世に出す時期が来た。
今朝、天空の旭日はかって観た事のない巨大な光の輪になって出現した。

 それは光のエネルギー。天と地の神々が光彩の輪の周りで無数のいのちを輝かせて躍り、舞っている。新しい次元への昇華だろうか。

 メッセージを持ったシーンが次々と目の前に出て来たと以前に書いた。
極めて多くの人が見、写真に撮っている富士山とは異なる光景を富士山が見せてくれる。これもそうだ。完全逆光だが極大の太陽を完璧に受けとめた。

 宇宙次元という言葉を耳にする様になった。裾野を伸ばして見えている山だけが富士山ではない。眼に見えている部分は瞬間の凝縮の形であり、見えなくてこれを形作ったエネルギーは悠久無限に連続している。人間も地球も無限宇宙の一部である。だから一つは全て。全ては一つなのだ。

 事象は宇宙自然からの気付きの促しである。調和と感謝以外に生きる目的は無いと思う。

 七色の光の彩輪が日に日に大きくなっている。

黎明・紫の夜明

ときめきの色と空へ

  2月 夜明 河口湖大石地区

 今年はときめきの富士に沢山出逢える予感がある。暖冬で雪も少ないし朝も冷え込まないから空が焼ける頻度は激減しているが、移ろい行く時の流れの中で心ときめく一瞬を確実に受けとめる事は、揺るぎない確信としてもう出来ている。

 いつもの如く思い立って夜中に出かけた。夜明を見ようと思った場所には1時間前に着く。富士の微かなシルエットが刻々とコントラストを強くして、空の脈動と呼応するのを全身で受けとめている。この快感は何事にも代え難い。自分の呼吸と大気が調和してゆく。今の空の色の後、次に出る色が鮮やかに脳裏に描かれる。

 今朝の空は究極の紫の世界だった。私が求める色「ときめきの紫」である。手前に青木ヶ原樹海が帯の様に伸びて湖の岸辺が弓形に曲がっている。作画するには画面全部が色で満たされる時でなけばならない。

 「あ、3日後だな。」と東京で直感した通りの天気になった。今朝は荒れ模様で山も見えない筈だったが?つも通り天気の変化は気象予報官の言った通りに成らず、富士山の周りでは1日から1日半ズレる。

 天気予報などあくまでも狭い科学の中での参考である。私には天気の変わり目に富士山が顔を出す時間帯と場所の情報が全身に届く。今朝は紫色が長い時間続いた初めての朝になった。ここでは私だけの天気予報が冴えまくる。人に訊かれても、何故数日後の富士山の周りの空を読み切れるのかは説明が付かない。

 冬なのに大気が極めて暖かい。地球が危機的状況に至りつつある。劇的な空に逢えなくなる頻度は今後加速化する。だからもっと心を空にして山の呼ぶ声に耳を澄まそう。大きくダイナミックな事よりも日常の移ろい行く小さな事を大切にして行こう。新しいときめきの富士が出番を待っていた。

61作目を世に出す日が来た。

雲上の輝き

燦然たる天空世界

  8月中旬 午前8時 丸山林道より

 朝日と富士山と自分が一直線の法則を使えば、毎日富士山頂上の日輪を見る事が出来る。季節により太陽の出る角度と時間が異なるが、春から夏は富士山の南西部から見れば凡そ午前6時から8時まで、秋から冬は富士山の北西部から見れば凡そ午前8時から9時の間に頂上を通る。朝の清涼な氣が残っている時間帯のみの天の恵みである。

 快晴の日は平地から見える。曇りの朝はどうするか。雲の上に出る事だ。
曇りの朝に頂上を隠している雲の厚さは概ね高度1600m位まで。
因に富士山麓一帯は高度4〜800m。要は車でこの雲の上に出れば良い。雨さえなければ必ず富士山が待っていてくれる。これ程爽快な事が他に有ろうか。

 富士山を取り巻く大きな山や里山の林道は、昔から何度も夜中から夜明けにかけて車で走った。それが私のDNAに刻み込まれている。季節毎の夜明けから数時間後の富士山頂上に、天空の太陽が輝く場所にピンポイントで行けるという動きが自然に身に付いた。

 幸か不幸か、日本は公共事業が隅々まで行き渡り、今では林道と言えども未舗装は少ない。富士山と夜明けを撮り終えた後は天空日輪の場所まで短時間で移動出来る環境になった。

 今朝は雲海が山の谷に入り込んでいた。朝焼けにはならなかった。でも雲海が残っている時に夏の嶺と光を入れて作画出来た。最近展示の頻度を増やしたら人気が出て来た。

  志高く心柔らかく、夢に向かって新たなる挑戦。
  生きている富士山と光、自然エネルギーに全身を包まれた。