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 ↑ロッキー田中のエッセイ「ときめきの富士を求めて」はこちらから
ご覧いただけます。

陽ざし

冬晴れの湖

 

1月18日 午前8時 山中湖平野浜

 この年は3回の寒波が襲来した。
  山麓に生活される方々には申し訳ないが、写真家としては待ちに待った出番なのである。それでも近年雪の量は減ってきている。

  数年前は湖の上に積もった厚い雪の上を車が走り回っていたし、もっと以前は厚い氷が更に膨張して御神渡りが出来た。もう何年御神渡りを見ていないだろうか。冬の期間は短く、温かくなってきている。この年は久し振りに本格的な冬だった。

  冬だから夜明けは7時前だった。その時の気温が零下17℃。そしてかなりの時間が経ってやっと湖面の雪に光が射した。私の左に山が連なっている。太陽がその山の上から顔を出すまでに夜明けから1時間以上が必要なのだ。光は雪の壁に当たった。ここだけで十分だ。

  その間、気温は僅かだが上昇する。と言っても零下10℃になる位だが。
とにかくこの湖は一番寒い。耳が凍える。その分、造形は極みに近づく。
造形が面白いから紺碧の空と、眩しい雪の輝きだけで十分に作画出来る。

  山中湖は鯨である。鯨のしっぽの場所が平野浜だ。山中湖の一番奥にあり、富士山から離れる分、周りの情景を沢山取り込める。空が紺碧の色に染まっている時間も長い。
 
  さしずめ流氷か南極の氷床の上に、横綱が土俵入りをする姿で凛とした富士山が出て来たようだ。

盛春

最高潮の春が来た
 
  4月4日 静岡県芝川町柚野

 寺の境内で枝垂桜(ときめきの富士の2頁にある春爛)を撮りながら目は彼方の丘の上の黄色の帯を追っていた。早々に櫻に別れを告げて丘に急いだ。間に合った!。さあ撮ろうと思ったら、同じ事を考えている連中が丘に先回りしていて三脚を立てる場所がない。

  いつもは気のいい連中もこの日ばかりは目の前の撮影に夢中で、場所を譲る余裕を見せてくれない。車から脚立を取り出した。三脚の高さは2.5m。
皆の頭の上から「はいごめんよ」と言って撮った。醍醐味である。

  高い場所から写したから菜の花がもくもくと立体的に写ってくれた。場所を譲ってくれなかった人達はどうなっただろう。おそらく、目の前の菜の花がベターッと続いた描写になってしまったのではないか。

  菜の花は毎年土地の人が植える場所が違う。その年の気象にも左右されて、どの場所の最高潮はいつ来るかと毎日チェックが必要だ。

  手前から奥までグワーッと広がる畑、右も左も菜の花だ。丁度、森には山桜、富士に白雪、青い空と流れる雲。何年ぶりだろうか。こんな日は山麓にいるのがとても楽しい。櫻と同じく光に満ちた最高条件の富士、一般的には「奇麗だなあ」で終ってしまうが、出会えること事態が今では奇蹟に近い。

  輝くような盛りの菜の花は気持が晴れ晴れする。部屋の空気がいっぺんに明るくなる。全てのものが最高潮に調和したから『盛春』と名付けた。
人との折衝や、ソフトウエアや頭脳労働の専門職の方々がこの作品をよくお求めになる。ほっとして気持が解放されるからと言って下さる。

  景色の窓を開けて、覗いているような臨場感が出たかな。

夢の原野...新緑

宇宙の大地
 
 

6月1日午前4時半 秩父山系 水ヶ森林道

  私は景色空間に立った時に、画面構成と色と最も際立つ時間帯を瞬時に知る。それは大気と調和する事で、自然の動きに自分の動きを合わせることだ。

  新緑の息吹は山に満ちていた。上から見ると濃い緑一色だが、谷の木々が風を受けて揺らいでいる。夜明けの瞬間は光と陰の対局にあり、コントラストは刻々と線から面へと放射状に強さを変えて行く。緑の濃淡だけで色を表現するのだ。そして広大さとと奥行きをも。

  その谷間を遥かな旭光が射す時に、天空に富士が見えて空に色がつかねばならない。一番強い光が廻るのは刹那の時、その時しか谷間は明るくならない!。きっと1枚しかおさめることは出来ないであろう....。
私はそう感じて断崖絶壁の上に立っていた。

  その時が来た。一条の光が萌色のついた新緑の樺の木を照らした時、僅かだが谷間の緑が映えた。その時を確実に受け止めた。やはり1枚しか出来なかった。

この道一筋でときめきながら富士山に逢いに行っていると、時々山からご褒美を貰う。この朝深山ツツジが待っていてくれた。このアクセントで作品になった。

  富士五湖周辺にはこのような天然自然はもう無い。だから遥かな高い場所に向かう。安易な望遠レンズは使わない。雄大さと繊細さと天然の息吹を写し止めるには広角レンズで目に入る光景の全てを受け入れるしかない。

  私はこの朝、無限宇宙の中に融和している自分を感じていた。

赤富士

盛夏の吉兆
 
 

8月1日 午前5時 滝沢林道

 お祭りが始まった。
  新盆から旧盆の1ケ月、運が良ければ赤富士に会える。ダイヤモンド富士や赤富士など、富士山の特異現象が出るのをお祭りという。

  絵で赤富士を見た人は多いだろう。商売繁盛や心願成就、更には病気平癒を願い多くの人はそれを知っている。絵の中のイメージで。しかし赤富士は現実に出現する。何年に1回かは鮮血の赤になる。


  一番有名な赤富士は葛飾北斎の浮世絵「凱風快晴」である。昔は遥かな麓からも見えた。


  山麓で車中待機した。夜中から薄雲がかかり富士は全く見えない。ゆっくり眠ることにした。いつも通り夜明けの1時間前に起きて空を見た。裾野が見えた。その上は雲がかかっていた。小雨もあるようだ。

  「今日は出ないか」と感じた時、雲間にちらちらと光が射すのが見えた。
  「上は焼ける!」。一気に林道を駆け上がった。

  午前4時半に四合目の下に到着。雲の上に出た。晴れている!。車から降りると同時に三脚をセットした。4時50分、先ず山頂に第一の光、その光は徐々に巾を広げてゆく。

  しかし、最高の光はその中の数秒のみである。最高潮を見逃すと色は茶に偏って、土の色を写してしまうことになる。それを見極めて受け止めるのだ。
この瞬間私は大気と調和し、溶け込んでいることを実感する。

  赤富士は左の頂上が黒くならない事、全体の色が渋く沈まない事が不可欠だ。冴え冴えとした赤色が求められる。完全な赤に出会うまでには様々な条件の一致を待たねばならない。この年やっと鮮血の赤色に染まる富士に出会えた。

  中腹に見える光は山小屋と、その前に出てフラッシュをたいている登山客達のカメラである。みんなが「ご来光だー!」と拝んだりバンザイしている様子を月見草のそばから見ている。

  そう、太陽は私の背中にあるのだ。私には見えない自分の背中は今朝、真っ赤に焼けていたに違いない。

古来幸運の象徴とされる赤富士、

かの北斎が見た浮世絵の赤富士はこれか....。 吉兆である。

時空無境

宇宙空間に浮いている
 
  4月6日 午前7時30分 山中湖長池

 不思議な朝だった。

 春の雪が山に降ったので夜明け前に湖に着いた。
  ところが夜明の時間を過ぎても富士山が姿を現さない。よくあることだが見えない時は「んーーん、立つ位置を間違ったかな?」と思い知らされる。でもここを離れがたい。

 陽が出てから1時間半以上も待っていたけど靄しか見えなかった。では山の神社にお参りに行こうと走り出して暫くしたら湖の靄が動き始めた。
即座に目と体が反応した。

 「見えるかも知れんなー。」
  と思い直して元の浜に戻ってみた。暫く待ったけど出なかった。

 「気のせいか...。」
  また走り出して山中湖を後方の視界に入れたときに光が揺れているのが目に入った。また元の浜に戻った。今度も同じだった。カンが鈍ったかな?。

 「また次回に来よう」
  走り出して3回目、かなり遠くまで行ったのに何故か心残りがして車を戻した。それでも富士は見えなかった。同じ事を3回繰り返した。この間30分、時間だけがゆっくり過ぎて光が量を増していった。

 「今朝はハラを決めて待ってみよう。呼ばれているから。」
  ロッキー田中の神髄はこのとき決まったのである。ジャーン。そして4回目に同じ浜に戻り、カメラをセットしたときにこのシーンに出逢った。

 16カットを収めた内の最高の瞬間は1枚のみ、残りは刻々と靄が引いていくシーンの連続だ。ものすごい宝物を掘り当てた実感がある。嬉しいことに天空と湖(地表)の間に境目がない。対岸にある建物も消えた。

 7年前にこのシーンをイメージした。今日逢うことが出来た。その光景は宇宙空間に浮いているときめきの富士だった。大切なことを受け止めることが出来た2004年4月6日のメモリアルモーニングである。

紅富士

 

  3月中旬 午前6時半

御殿場市 富士山中腹の水ケ塚

    今朝、やっと白雪が真紅の色になる
     零下20度になってくれた。

     厳冬の嶺が旭光を受けて燃えさかった。

     冬は紅富士、これは富士山の白雪が朝日に染まること。
     夏は赤富士、これは富士山の黒土が朝日に染まること。

     一生の間にこの目で、二つを見ることが出来れば吉兆が
     訪れるという。

     でも遠くの人や、行こうと思っても行けない人、行って
     も見ることが出来ない人の方が99.9999%だ。

 

         大丈夫!。私がいる。待っていてね。
  
         <ときめきの富士> があるよ!!。