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第6作 星降る夜に
第20作 白峰連山
第23作 雪の宝石箱

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 ↑ロッキー田中のエッセイ「ときめきの富士を求めて」はこちらから
ご覧いただけます。

火の鳥

秋嵐の情熱

  9月22日午後5時15分富士宮市

 台風が東海から関東で暴れた。天気予報にヤキモキしていた。
「今日の4時頃には房総半島から太平洋に抜けるでしょう」。

  このアナウンスだけを待っていた。横浜を出発したのは3時30分であ
る。その時はまだ暴風雨のピークだった。20分後東名横浜IC、台風で最高速度50km規制だ。雲が動いている。雨の固まりも動いている。気持が焦る。

  御殿場を過ぎた辺りで雨は去り、最高速度は80kmまでOKになった。
いつもなら夕焼けは山中湖方面から逆光で撮る。しかし、雲は東に向かい西の空が明るくなった。しからば富士インターまで行って139号線を北上し東の空を見よう。

  午後5時、やっと雨は止んだ。富士宮の町を北上していた時に雲に光
が入り色がつき始めた。

「やばい!町の中だ。撮る場所がない。」

  見晴らしの良い地点を必死で探し脇道に車を停めた。この写真の下は住宅である。停めた位置からはこの構図しか取れなかった。

  暴れまくった雲が東に去ってゆく。富士の峰が輝いて西の空に青空が顔を出した。嵐の後の希望だ。ド迫力のエネルギーが漲っている。

  夕日の残照を胸に浴びて、火の鳥が天に舞い上がった。
  明日はもっと凄い空に会えそうだ。

夜明の交信

通信衛星

  9月26日午前5時半 丸山林道

 この日を忘れない。前の晩に数年に一度の絶好の気圧配置になり、
一番好きな場所に陣取った。作夜半から峠の道に立ったままだ。かっ
てこれほど刻々と変化し心ときめいた日は無かった。

  私が最も愛する時がある。夜が終り朝に切り替わる刹那の瞬間だ。
1枚の写真にその時の移りまで写し込めたら「ときめきの富士」の完
成だ。その思いを実現できる朝がやってきた。

  この素晴らしい情景を写し止めるのには広角レンズ以外にない。
一切の無駄を排し、必要な色だけを取り留める構図と色の勝負だ。

  山あいの雲海が引いて、まだ眠っている山峡の町の明りが見えた頃、遥かな稜線に紅の色がついた。流れてゆく、天空の雲に彩りが来て時が移ってゆく。

  その時だった。   「お早う」

と左上空に通信衛星が飛び込んできた。天から御褒美を貰ったぞ。

  夜が明けて行く。遙かな稜線に光が来た。空の雲がその色を受けて
刻々と変化してゆく。 出来た。時の流れが写った。

この写真はある雑誌の新春号に見開きのグラビアで掲載され、女性
ファンが増えるというおまけまで頂いた。

夕焼け空

ある秋の日

  午後5時5分 富士吉田市

 黄昏の魅惑の時間は刻々と変化する。地も山も空の色も。

  魅惑の光は徐々に舞台を空に写した。富士山の肌の色は青紫になり、原っ
ぱのすすきの色は山の陰に沈んだ。夕陽が山の向こうに入ったので気温が急
に下がり出した。風が雲を連れてきた。薄い綿を延ばしたような雲が広がっ
て来た。その雲は色めいている。見ていると次から次へと湧いてくる。

  私はときめきの中にいた。福井で過ごした子供の頃、夕方まで原っぱで遊
びまわってお腹を空かして家に帰った頃を思い出した。

  写真をじっと見ていると景色は動いている。すすきのざわめきも、草の匂
いも感じられそうだ。湧いてきた雲が動いているのを目の前で見ている様だ。
次の一瞬の色変化まで分る。

  展覧会でこの写真の前で30分以上も立ち止まったまま一歩も動かない女性
がいた。涙を流していた。

  傍にいた御主人が

「買ってあげるよ。ロッキーさんに頼んで安くしてもらうから」
と言われた。

  ご主人とは展覧会の数ヶ月前にある人の紹介でお会いし、
「妻の気晴らしに、連れて見に行きます。」と言われていた。展覧会終了後
真っ先に届く手配をした。

  数カ月後、御主人から手紙を頂いた。

「あれから妻は元気になりました。今でも毎日“夕焼け空”を見ています。
有難うございました。」と書かれていた。何があったのかは知らない。

  でもときめきの富士がお役に立てたのなら、こんなに嬉しい事はない。

星降る夜に

オリオンと交信

 

12月8日 午後10時半〜 本栖湖

  冬の夜空は星座の王国だ。ことに富士山の周りからは満天の光に囲ま
れて、美しさに吸い込まれる。子供の頃に覚えた冬の星座という歌を思
い出す。

  そして、星座の下で野営する時は自分の生き方や、これまで支えてく
れた周りの人達の温かさに思いを致す時でもある。辺りは無音である。
時々通り過ぎる車がいなくなると、一切の音が消える。夜中が楽しい。
眠りたくないのだ。酒に弱い私だが、星の下でやるのはブランデーに限
る。

  遠くの星は地球の自転によりその位置が変って行くように見える。星
は1時間に約15度動く。地球の自転周期360度を24時間で割ってみると
そうなる。だから長時間撮影でシャッターを開けておけば、目には見え
ない星の軌跡がフィルムの上に勝手に写る。雲に遮られるとその時間だ
け光の線が途切れる。飛行機の飛ばなくなった時間から撮影開始だ。

  夜景撮影は1秒以上の長時間撮影だから、フィルムが適正に色を再現
する限界を超える。しかも富士山周辺の人工の光が空に反射して、フィ
ルム上にはグリーンに写る。空気の澄み具合とグリーンの色のヌケは比
例する。この夜は特に綺麗な空だった。

  三脚を立てて1時間半、1等星や2等星がフィルムの上に遊びに来た。
富士山の白雪が見える。今はもう無くなった測候所が星の光を受けてい
た。夜間撮影をしながらイメージは宇宙に飛ばす。そうするといつか必
ず実現する。

  この夜、私はオリオン座と交信した。

白峰連山

出来た。南アルプスがど真ん中だ。

 

1月6日 午前11時 御殿場上空5000m

  操縦桿を握るのは梅川荘吉博士。
  72才、NASA宇宙工学の権威であの向井千秋さんの師である。

  梅川先生にはある人を通じて知り合う事が出来た。先生は今も青年だ。
仲間数人でビーチクラフト機を共同所有し、そばが食べたくなると一人で調布の飛行場から松本空港まで飛んでいってしまう。

  私の意図を聞いて先生は何度も飛行して下さった。1回目、初めての軽飛行機で乱気流に突っ込んだ時、私は気分が悪くなって戻って貰った。10日後の2回目、富士山に近付くに連れて雲が厚くなり、調布基地から引き返せと指令が出た。

 更に1週間後の3回目、絶好の天気の時に予期しない事が起こった。カメラが動かなくなったのだ。原因不明である。地表の温度と上空の気温変化で機械が作動しなくなるのを予測できなかった。

  そして、これ迄にかなりの経費が消えて懐は寂しくなっていた。ここで止めればそれ迄の経費は授業料として諦める事も出来る。次も成功するとは限らない。でも止める訳には行かぬ。もう一回だけ飛んで貰う事にした。

  最後の挑戦は年を越した1月6日である。カメラは完全マニュアル式を2台用意した。冬晴れの中、調布から一旦大平洋に出て山に向かう。道志村、山中湖、河口湖と、いつも走り回っている道や湖が見える。上空を数回廻って位置と角度を探す。空から見る富士山は格別だ。

  北麓を廻り、朝霧高原を過ぎ、南側の富士宮市、富士市、御殿場市上空に到る。調布から僅か30分である。怖いのはこれからだ。
「撮ります!」と叫ぶと梅川先生は機体を垂直に変えて伊豆方面に向かい、反転して乱気流の中を突っ込んで来る。

  角度が合わない。「もう1回!」とエンジン音に負けない声で叫ぶ。今まで下に有った地面が横にある時は感覚がおかしくなる。恐怖で床に足を踏ん張っている。踏ん張る必要はないのだが。何度か突っ込んで、恐怖と負けん気で頭が真っ白になりかけた時にちらっと見えた光景があった。

  ある方向から突っ込んだ時にだけ、富士山の雪の状態が完璧で、嶺の彼方に南アルプスが完全にど真ん中に入る極めて狭い角度を発見した。何度反転して突っ込んで貰っただろうか・・・。先生は楽しんで頂上めがけて突っ込む、私は髪の毛を逆立てて必死に踏ん張っている。

  そして、出来た。撮りまくった中に1枚だけ整った写真が有った。今迄世の中に無かった写真が出来た。彼方の空に低気圧の層が見える。2日後この層が関東を覆い、数年来の大雪になって都市機能が麻痺した。今日も時の流れを写し留める事が出来た。懐かしい思い出の撮影飛行である。

雪の宝石箱

3つ目の冬、やっと会えた。

 

1月11日 午前5時30分 富士吉田市新倉山

  この街を宝石の様に写してみたいと思い、全ての条件が揃う日を待ち続
けて3年目になった。いつも2つまでは揃う。しかし肝心の3つめは大雪
の後の朝しかない。

  8日の夜に関東は大雪になり道路は麻痺状態となった。横浜から富士山の撮影には行けない。9日、都市の機能は徐々に回復し10日には富士山麓まで行ける様になった。苦労して新倉山に登った。明日の朝は満月だ。夜7時頃から順々に夜景を撮り始めた。

  今年こそ条件が揃う!。
  それは「屋根の雪と富士の白雪」を「夜明けの瞬間」に「満月の光」が
照らす幻想的な宝石箱である。屋根の雪だけがいつも揃わなかったが、満月と大雪が重なった今年こそ、そのシーンに会える予感があった。

  この町は夜景が美しい。特に冬は街灯りが冴え富士山も煌めいて見える。
午後11時、一旦車中で眠ることにした。勿論エンジンはかけない。車の中
は結構温かいのだ。ヘッドレストを5回叩いて目をつむった。1回が1時間の
見当である。サンルーフからは天空に浮かぶ満月が見えた。

  午前4時に目が覚めた。夜明けまでにはまだ2時間半もあるが、一番寒いこの時間には起きだして大気の中にいる。いつもならまだ暗闇の世界だが、夜中に私の背中に移った月光と雪明りで、街の家々の屋根と富士の白雪が輝きを増してきた。僅かずつ街も山も青白く浮かんで見えて来た。

  街を見下ろすと、早起きの車が動き出したのが分かる。雪道だから車は
ノロノロ進む。道を曲がる合図の点滅が長くなって、あちこちアクセント
をつけてくれた。

  幅広い視線の全てを受け止める。凛としてたたずむ霊峰と、その富士山
に抱かれた人々の暮らしが中景にある。時の流れも写っている。私が追い求めている「ときめきの富士」、それは「現代の浮世絵」として人々の心
に響くことが出来たら幸せだ。

  気温零下7度。耳が凍える以外は我慢できる。闇が明けて、夜明け前に
宝石が雪明りの街に輝いている。頂上に面白い雲が湧いてきたぞ。稜線には淡い赤の光が入ってきた。

  今しかない!。遂に見せてくれた!。雪の宝石箱の出現だ。