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 ↑ロッキー田中のエッセイ「ときめきの富士を求めて」はこちらから
ご覧いただけます。

雲の浮島

荒海の上に

  3月9日午前6時50分 静岡県清水市吉原

 天気予報では、回復は午後からだった。
  しかし雨はきっと夜中に上がる!。私の体の中の予報官がそう言っていた。日本の天気は西から変わってゆく。天気予報は参考にはなるがそれを鵜呑みにはしない。

 体感では富士山周辺の天気の回復は半日ずれる。降り始めは半日遅れ回復は半日早まる事の方が多い。それを100km離れた東京で読んでいる。360度の中のピンポイントにいつ駆けつけるかを読んでいる。

 山麓にいた方がいい写真が撮れるとは限らない。地元の人がいい写 真を撮るとは限らない。更に山麓で何日も待っていても、心のイメージには会えない。近くにいれば最終的には近くから見た角度の富士になる。 集中力も欠ける。私は会いに行ったときの感激を大切にしたい。

 山のそばにいなくとも、離れれば全体が見える事を私は知った。気圧配置を読み太陽の角度を知り、富士山の360度の全方位 で今どんな変化が起きているかを知る。気流はどうか温度差はどうか、雲の湧き方はどうか....全方位 の変化を心の中でイメージするのである。天気の変わり目はいつ、どこから始まるか。いつ富士山が呼んでくれるか...。

 そして明日、あの場所、あの時間、と感じたとき、富士山が「おいで見せてやるぞ」と言ったときにだけ、私は富士山と対峙できる遠くの山の中に夜明けを迎えに行く。
雨が上がったのは、やはり夜明け前だった。そこから山上のドラマが始まった。

 隠れていた富士が姿を現すには風の力が必要だ。風が起きるのは太陽が顔を出す時、その時から温度変化が起こり気流が湧き始める。夜明けの到来と共に、大気は風を呼び峰を覆っていた雲を数秒だけ払ってくれた。

 その時、厚く立ちこめた谷間の雲海が動き出した。峰が凛然と山並みの上に姿を現した時に、雲海は荒波の姿になった。山々は波に洗われる島々の姿になった。雲海の上に頭を出した山のことを浮島と言う。

 山々はお茶畑である。南アルプスの外れにあたり、幽玄深山の趣を残すこの吉原地区は、高い絶壁に張り付く様に農家が有り、雲海の発生が有名な所である。

 この写真が出来て5年、今、見渡す山肌は裸になってしまった。第2東名高速道路をこの谷あいに通 すために工事が進んでいる。私たちは便利な生活と引き替えに大切なものを失ってゆく。この写真を見るたびにそう思う。

入江の慕情

富士山に抱かれて

  1月25日午後5時半 西伊豆静浦湾を見下ろす発端丈山

 湊に夜のとばりが降りた。海の色はまだ残っている。冬の夕暮れは早い。
 斜光の残照が峰の白雪を照らしている。山の蜜柑畑の細道には灌木が伸びて車を擦る。それを我慢して登って行くと 少しだけ開けた場所が在った。

 夕方の5時、太陽は画面の左に移った。夕焼けから夜へと移り行く時間帯は、フィルムの上に美しい黄昏の叙情描写が出来る。漁を終えた漁船が湊に戻って来た。 海に迫る崖の下に、這う様に切り開かれた湊町の住居に光が灯り出す。午後キラキラと輝いていた海は日没と共にその色を沈めてゆく。この移ろい行くひと時に全ての神経を集中する。海の色が残り遥かな富士は残照の淡紅、漁村に夜がやって来る。

  この湊町も毎日富士に抱かれて日々を過ごしている。海を隔てた向こう岸は富士市の明りだ。気温の高い時は海からの上昇気流と製紙工場の煙で富士が隠れてしまう事が多い。 海に浮かべた筏は海老やハマチの養殖である。時節には餌をやるために光を灯した漁船が生き交う。

 この入江、七変化の色が出るという。次は夜明の薄明りの中で漁船が作る無数の光跡を撮ってみたい。

「北斎さん見てくれ。現代の浮世絵が出来たよ。」

 海の色が完全に無くなるまで、私はずっと立って見ていた。

芝桜咲く頃

麗しの田園

  5月25日午前8時 富士吉田市農道公園

 美しき田園の姿がいつも心の中にある。

  五月晴れの陽光が朝から燦々と降り注ぐ日、水を張ったたんぼに早苗が育つ頃、あぜ道に紅い可憐な花が咲く。そしてたんぼの水に雪の富士山が映っている...。麗しき田園の風物詩である。

  それらが全て調和するのには今では数年かかる。近年、空はいつも薄曇りで五月晴れ自体が皆無に近い。季節の変わり目がはっきりしない天候や、気象の移り変わりや、草花の旬の盛りの時季が狂う現象は、近年加速度を増してきたようだ。

  ある年、全部が調和して作品になった。嬉しかった。

  ここは町の中から裾野を伸ばした富士山が見える数少ない場所である。「カッコイイ!。たんぼの逆さ富士だ!」と叫んだ青年がいた。
  有難う。励みにするよ。湖の逆さ富士は早起きすれば見ることが出来るけれど、たんぼの逆さ富士は滅多に無いからね。もちろん花が咲く時季には必ず富士山に雪が写っているよ。「ときめきの富士」と名付けたからには。

  先日、TBSラジオに出演して午前中一杯「ゆうゆうワイド」の中で富士山を語らせて頂く機会を得た。その時、アナウンサーの大沢悠里さんが一番喜んでくれたのがこの「芝桜咲く頃」だった。

  この写真から数年経った今年の4月末にはもう芝桜が咲いていた。だが田圃にまだ水は張っていない。早苗が育つ頃は芝桜が終わっているかも知れない。このままでは来年から芝桜は田植えの無い4月に咲くだろう。昔は6月の花だった。自然のリズムが変調を来している。全て、人間が便利さと快適な生活を追求してきた裏返しである。

  山麓に住宅が増えてきた。その存在を小さくするには広角レンズを使えば良い。遠くの景色が小さくなる効果を利用するのである。あぜ道の幅より小さく写る様にすればば写真でも余り気にならない。ところがもっと強烈な事態が発生した。

  この写真の右1/3までを占める、コンクリートの市民病院が出来た。辺りを圧する巨大な建物である。住民の願いだったかも知れない。市は満足であろう。富士山の麓に住みたいという人は沢山いる。病院も必要かも知れない。

  だがそのことだけに目がいくと自然が壊れる。それを物言わぬ 天候や草花が警告を出している。早く気付けと言っているのだ。人間の欲望や都合を優先すると、山麓に見える住宅群は数年以内に今より更に巨大になる。

  だからよっぽど深く考えないと自然なんて守れないんだよ。目に焼きつけて、写真でしか残せないなんて寂しいじゃないか。科学と経済と効率と権利行使で動いているかのような現代、自然の力で生かされている事を忘れちゃいけないと、芝桜を見る度に思う。

       早苗のたんぼに逆さ富士、風の匂いもやってくる。
         
       咲いているのは芝桜、裾野を伸ばした富士見てる。

雲上はるか

天上の光響詩

  9月下旬 午前6時 信州高ボッチ高原

 富士山から120km。

  左に八ヶ岳連峰、右は赤石連山南アルプス、雲海の下は諏訪湖である。下界から見ればその日は曇天だ。しかし雲の上に立てば必ず富士山に会える。見えない世界にこそ有る真実を見に行こうと思った。そこには光と陰に彩られた神々の饗宴の世界がある。

  山間を厚く広くおおった雲海は朝の光を受けて動き出した。大気の温度差で雲がモクモクと形をつけ、右下の方向へ流れ落ちている。私が今立っている足下から遙かな富士の上空まで。情景の目の前にいる様な臨場感が見る人に伝わっただろうか。

  富士山に同じ表情は一つとしてない。無限宇宙が凝縮されて、太陽系銀河の奇跡の星地球の上で、人智及ばざる営みが今も繰り返されている。その姿を垣間見る事が出来たら、人は自然の摂理に感謝せずにはおれないはずだ。

  富士が今日も教えてくれた。

山峡の章

谷のひだに雲海

  9月22日午前10時 丸山林道

今朝大雲海だった。高い場所の入り組んだ地形に雲海が湧いて、谷の襞 にまで入り込む。その雲海が動いて刻々と消えていく。

  林道を降りて来てカーブを廻り込んだ時に、かねてからイメージしてい たシーンが現実の姿となって飛び込んで来た。

「あっ、今だ!」。
  道脇に車を停めて崖の先端まで走った。三脚など立てられない。手前の崖の枯木が雲海に重なる一角を選び、愛用のカメラで手持ちでおさえた。 広角が生きる。全ての視界の山や木が重要な添景になる。富士山まで数 10km離れているのだから、それを描写したい。

  シーンの目の前に立っているような臨場感のある写真になった。陽が高 くなって、雲海が動いている時間の変化が写っている。次の雲の変化まで 伝わってくる。そして富士はその上に際立つ。

  凄い写真を撮ろうと粘っている人たちがいる。それを望遠レンズを使い アップで富士の嶺を中心に切り取って、いかにも凄い富士山を撮ろうとしているアマチュアやセミプロが多い。

  しかし凄い写真なんてそう出来はしないし、そんな富士山なんか部屋の中に飾りたくない。疲れる。私は富士山は広角レンズで収めてこそ際立つと考えている。広角の難しさを避けて、多くの人は望遠レンズを使う。

  シーンの目の前に立った時、全ての視界を一切の無駄なく完璧に描写す る事、構図の中は微妙で力強い色に満ちて、まるで景色の扉を開けて目の 前で見ている様な空気感が伝わる事、そのイメージが出るまで通う事..。

  それこそがときめきの富士だと思う。それは江戸の昔から人々の心に強 烈に残る浮世絵の富士の構図と重なる。私がカメラを使って描くのは現代 の浮世絵である。

  青と白と黒だけだが流れがあって、気持ちの良い写真が出来た。山並み の上に頭を出した遙かな嶺を見ながら、山の手入れをしている暮らしがこ の辺りの山村に有る。

天晴さつきまい

あっぱれさつきまい

5月5日 午前10時 朝霧高原
 

 
ここは富士山麓の南西から北に伸びるR139号沿いのドライブイン「もちや」である。朝霧高原の真ん中にあるとっても良いところ。

その名の通りお餅が名物だ。
つきたての餅は「おろし餅」、「きなこ餅」、「あんころ餅」となって5個入り500円で店頭に出ている。見る間にどんどん売れていく。私はしょっちゅうここに行く。そういえば、ここ数年、新年の2日には「もちやドライブイン」で雑煮を食べていた。

4月下旬からは百匹の鯉のぼりが芝生を渡る風に揺れる。実に爽やか。
富士山と鯉のぼりはとても良く似合う。ある年、奇跡が起きた。端午の節句にここの桜が満開だった。やった!此花開耶媛から私にご褒美だ。気付いた時に風が来た。

風はらみ 夢よ 大きく 空に舞え
青空 白雪 鯉のぼり 端午の節句に花満開

子に託す親の気持にも似て颯爽と泳いでいる。見ていると画面に中にも風が吹いているのが分る。動いている。動いている。流れている。

お客様から作品のリクエストを頂いた。「天晴五月舞」の写真を額に入れて壁に掛けるとの事。そうか!この手があったか!!部屋の中に鯉のぼり。場所は取らず臨場感があって見る人皆がいい気分になる。

これは新しい流行になるかも知れないなあ。